TIMAI PHILOSOPHY

TIMAI PHILOSOPHY

 

 

シューズ作りを始めて5年以上の歳月が経った。私の中に微妙な変化が起こりはじめたのは数年前のことだった。事の発端は端的に言えば、やっている事に倦んできたということだった。別の視点で見れば、見えていなかったものが見え始めてきたとでも言うのであろうか。盲目的にしか物事を見ていなかったのだと同時に痛感もした。かつての私のシューズ創作手法は、まさにHIPHOP的であったオリジナルの音源(元ネタ)を切って刻んで張り合わせる、いわゆるサンプリング、リミックスと呼ばれる手法である。そうすることで既存の価値観を覆し新しい価値観を産み出す、と信じて疑わなかった。そして、その作業に没頭していたのであった。ところが、ここ数年でその作業の本質が見えてこなくなってきた。もともとあるものを、どうこねくり回しても、それが本来の意味におけるオリジナルには到底なり得ぬことを。どうあがいても自己の魂の充足には到達し得ぬことを。それは、まさにパズルゲームであってシューズ創作という名の下でのゲーマーでしかないのではないか。年を重ねるごとに、ゲームを楽しむ行為よりも、もっと根源的なものを強く求めることになってきた。それはまさにオリジナルへの憧憬。自己発露をどのようにシューズ創作へと変換できるのか。自身の内面の投影をどう表現しきるのか。そう思い至るに及び、シューズ創作における根本的な見直しを図った。シューズの在るべき姿として自分がまず想定したのは快適さであった。履きやすく、直感的に快適であること。そしてオリジナルなコンセプトを付加すること。シューズのもつ普遍性にイカなる楔を打ち込めるのか。そのことを念頭に置き、新たに自身のシューズブランドを創設することに相成った。模倣なき果てしない地平線。繰り返される自己との対峙。自分が自分であるための自己表現法の確立。試行錯誤の連続ではあるが、自身のシューズ創作を巡るこの旅は永遠につづく。


 

何故イカなのか?

 

よくされる質問である。「何故イカなのか?」自身のシューズ制作において、ベーシックかつミニマルなデザインでシューズを作っていきたいとの思いのもと、シンプルなものの中にも訴求できるなにかを入れ込みたいと思った。単純なものを単純にプレゼンできるほど自分は純粋でもなく、自身の創作物になにがしかのフックをつけていかなければ、星の数ほどある他の商品の中に埋没していってしまうだろう。そこで、快適な履き心地の靴という原点回帰ともいうべき、靴作りの根本の部分をしっかり構築していきたかったので、そこの部分をどう表現すべきかという命題について大いに悩んだ。ただ単に快適ですというふれこみだけだとインパクトにかけるし、そもそもそんな靴は無数にあるし、快適であるのが当たり前だというのが前提でもある。そこで、人々が履いてみたい、足を通してみたいと思わせる、何か付加価値を付けてみてはどうかと気付く。そこに思い至り、履き心地というもの自体にファンタジーを

盛り込んでみてはどうだろうと考えてみた。誰もが思い及ばない履き心地とは何か。シューズの開発途中でインソールにイカの吸盤のような突起をつけることによって履き心地が格段に良くなることに気付いた。それをどのように表現すれば訴求できるか。そこでひらめいたキャッチコピーが以下になる。

「素足でイカを踏んだときのあの感触を再現してみました」

非現実的なアプローチであり、誰もがそんなことを体験したことなどない訳だが、言われてみると、思考の空白地帯に陥ってしまい、何故が興味を抱き履いてみたいと思ってしまう不思議な感覚に包まれてしまうのである。そう、それこそがまさにファンタジーの世界なのである。言い切ってしまえば、それが既成概念になってしまい、その世界観が強固のものとなって人々が体感せずにはいられないものとなっていくはずだ。勝手にそう確信し、イカを踏んだ時のあの感触を求めてコンフォートシューズの製作に挑んだのであった。実際にそういうプレゼンをして、実際に履いてもらった人々の反応はイカなんて踏んだ事はないけど、そういうことなんだよねという摩訶不思議な感想をもらすのであった。つまり、イカの踏み心地というものを前提に話しが進んでいくのである。これは、ほとんど創作の話しであり、現実を逸脱した余白に、そういったストーリーが転がっている訳なのだ。人々の感覚に訴求するには、科学的根拠など必要がなく、快適さという言葉自体の解釈を拡大させ、ファンタジーを盛り込むことにより直感的に履く事の楽しさを増幅させることができるのである。それでこそ靴作りの醍醐味を自分自身味わえるのである。